笑壷ソサエティ

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創造力と長寿
 

わたしが初めてカサルスに対面したのは、プエルト・リコの彼の自邸で、カサルスは後わずか2、3週間で第90回目の誕生日を迎えるところだった。


注)カサルスとは・・・
パブロ・カザルス 1876/12/29〜1973/10/22 
チェロの近代的奏法を確立 20世紀最大のチェリスト 
有名な功績として、バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し広く紹介したこと。 
平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動。 
1971/10/24(国連の日)、ニューヨーク国連本部にて演奏会、国連平和賞が授与。 
そのとき「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている。


カサルスは種々の疾患があって、自分で衣服を着ることがむつかしかった。
彼のおぼつかない歩きぶりと両腕の伸ばし方から見て、病気は多分リューマチ性関節炎だろうとわたしは察した。
肺気腫にも罹っていることは、その苦しそうな息遣いで明らかだった。
カサルスはマルタ夫人の腕にすがって居間に入ってきた。
ひどく腰が曲がっていて、首を前につき出し、足を引きずって歩いた。
両手はふくれ、指は曲っていた。


カサルスは朝飯の食卓を見向きもせずに、ピアノのところへ行った。
それが毎日のきまりなのだそうだ。
彼はいかにも不自由そうにピアノの前の椅子に腰をおろし、ふくれて曲がった指をやっこらさとピアノの鍵盤に上に持ち上げた。


するとわたしの思いもかけなかった奇跡がそこに起こった。
カサルスの曲がった指が少しずつ開いて、まるで植物の芽が日光のほうへ向かって伸びるように鍵盤に伸びた。
彼の背もピンとまっすぐになり、息遣いもずっと楽になったように見えた。
指がピアノの鍵盤の上に落ち着いた。
すると深い情感がこもり、しかもみごとなコントロールのきいたバッハの「平均律クラヴィヤ曲」の最初の小節が流れてきた。
わたしは、カサルスがチェロを選ぶ以前に、数種類の楽器に練達していたことを忘れてしまっていた。
カサルスはピアノを弾きながらハミングで曲を口ずさみ、それから「バッハがわたしのここに呼びかける」と言って、片手で心臓の上を押さえた。


と思うと、彼はいきなりブラームスのコンチェルトに入ったが、その指はもう素早く、力強くなり、目もくらむような速度で鍵盤の上を走った。
彼の全身はさながら音楽と溶け合ってしまったようだった。
こわばりちぢんでいた今までの姿はどこえやら、いかにもしなやかに優雅に変わって、関節炎の患部もまったく苦にならないようだった。


ブラームスの曲を弾き終えると、彼は一人で立ち上がったが、居間に入ってきた時にくらべて、姿勢もはるかにまっすぐで、身の丈も高くなっていた。
今度は少しも足をひきずったりしないで、朝飯の食卓へ歩いて行き、元気よく食べ、にぎやかに話し、食事がすむと、海岸へ散歩に出かけた。


目的の意識、生への意欲、信念、ユーモアなどの資質が備わっていて、そのおかげでカサルスはいろいろの疾患と戦い、九十の坂を越してまでチェロリスト兼指揮者としての役割を果たすことができたのだ。


ノーマン・カズンズ著 【笑いと治癒力】より

『サタデー・レビュー』の編集長を30年つとめたジャーナリストが『笑い』によって膠原病を克服した闘病体験記