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「さようなら」と「また会いましょう」
 

中日新聞 朝刊 「編集局デスク」より
編集局長 加藤幹敏

「さようなら」

・・・略・・・

 日本思想史の竹内整一さんの『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』によれば、世界の別れの表現は3つに大別される。



 スペイン語の「アディオス」のように、神の加護を祈る。

中国語の「再見」や仏語「オルヴォワール」のごとく、再会を約す。

そして英語の「フェアウエル」などの「お元気で」。



 「さようなら」は、どれにも当てはならない。

日本人の心には、未来へ踏み出す時、立ち止まって「さようであるならば」と過去にけじめをつける姿勢があるのでは、と竹内さん。

 さらに、そこには「そうならなければならないならば」と、避けられぬ運命として別れを受け入れる響きも込められているという。



 「このように美しい言葉を私は知らない」

 日本を訪れた際「サヨナラ」を耳にし、胸を震わせたのは大西洋単独無着陸飛行に初成功したリンドバーグの妻アンだ。

旅行記『翼よ、北に』はこう続く。



 「『サヨナラ』は、言い過ぎもしなければ、言い足りなくもない。

人生の理解すべてがその四音の内にこもっている。

それ自体は何も語らない。

心を込めて手を握る暖かさなのだ」

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 「旅立ちを祝い道中の無事を祈る会」
中日新聞 朝刊 「中日春秋」より

・・・略・・・

何も知らずに会場に入った人は、ごく普通の壮行会と思うだろう。

 実際は医師の帯津(おびつ)良一さん(73)が、1月に69歳で亡くなった妻稚子(わかこ)さんのために企画した。

あいさつの中では「もう旅に出ていてこの場所にはいないが、必ずあちらで会える」と、あくまでもしばしの別れを惜しんでいた。

 そもそも「旅立ちを祝い道中の無事を祈る」とは、帯津さんが自分の患者を見送るとき、心の内でつぶやいていた言葉だという。

正確には「また会いましょう」と続く。

 お察しの通り「命は永遠に続き、死後の世界は存在する」と確信しているからだ。

だから妻の突然の病死に「人生最大の驚き」を隠せなかったが、悲しみとなるとそれほど深いものではなかった。

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 作家の五木寛之さんとの対談をまとめた『生きる勇気死ぬ元気』を読むと<死後の世界について自分なりのファンタジーを持ちなさいよ。

それをいつも考えていると、現実のもののようになってくるといっているんです>とある。

・・・略・・・

死と向き合うときの希望である。