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年をとったからこそ、挑戦しなくちゃ
 
ノンフィクション作家 沖藤典子

 6年ほど前のことです。

それまで住んでいた軽費老人ホーム(ケアハウス)から、アパートに引っ越した方がいました。

73歳で入居して、10年後のことでした。

「入居した時は、心臓の具合が悪かったんだけど、おかげさまで元気に10年を過ごしましてね。

ホームにいると安心は安心。

でも、それがまあ退屈でねえ。

1日中何もすることがないんだもの。

入居者同士のお喋りにも飽きた、テレビにも飽きた、本は目が痛くて読めない、退屈地獄ってほんとだと思ったですねえ。

ここには自分の生活がない、元気なんだから出ようと決心したんです」



 83歳の決断でした。



 軍医であった夫を戦争で亡くし、3人の娘を女手1つで育ててきました。

長女が心配して、一緒に住もうといってくれました。

「気持ちはありがたいですよ。

でもね、介護保険制度ができるって聞いて、元気な間は1人でも暮らせると思ったんですよ。

あなたねえ、1人暮らしは私の夢だったんですよ」



 多少の不安はあっても、自分らしく生きたい。

自分1人の空間で生きていきたい。

多くのお年寄りが加齢とともに、子ども達と一緒に暮らしたいとか、老人ホームに入ろうかと思うのとは、まったく逆の志向でした。



 ご存知のように介護保険制度は自立支援、在宅生活支援を旗印に誕生しました。

彼女もそこに期待しました。



 アパートも自分で選びました。

川崎に住む娘さんの近所です。

娘さんといっても、60歳ぐらいでしょうか。

「お母さん、1人暮らしするんなら、私の家の近くでなきゃ駄目よ」



 一応娘さんのいう通りにした彼女ですが、住みたかったのは福祉が進んでいて、自立支援のある町でした。



 ある時彼女は、都心のホールで開かれたシンポジウムに出かけました。

そこで出会ったのが、秋田県鷹巣町(たかのすまち)の町長(当時)の岩川徹(いわかわとおる)さんでした。

「鷹巣町行ってもいいですか」

「どうぞいらしてください。町営住宅を用意しますよ」



 この時1歳増えて84歳。

川崎から秋田県まで引っ越しをしました。

もちろん、娘さんやお孫さんは大反対。

埼玉県よりも北に行ったことのない母親が、いきなり秋田県に住むというのですから、心配するのも当然ですね。



 しかし彼女の決心は固いものでした。

「あなた、年をとったからって、ちんまり安全に暮らすっていうのは間違いですよ。

もうあと残り少ないんだからこそ、挑戦してみなくちゃ」



 秋田での彼女の生活は、結構大変だったようです。

1番まいったのが雪。

ついで方言。

「でもそれも慣れね。

雪にもいろんな種類があっておもしろい。

雪かきは想像以上に大変だけど、みんな手伝ってくれるから、大丈夫。

方言だって、ボランティアや近所の人と話しているうちに、分かるようになったし」


 彼女自身も近くの老人保健施設へ、ボランティアに通い始めました。

そこで友達もできたし、いろんな病気の人がいるということも学びました。

ボランティアは、"したり、されたり"がいい関係ですね。

町のサービスと介護保険を利用して、彼女の自立への願いはかないました。

「安心さえあれば、自立できるんです」



 強いひとことでした。

年齢に負けていませんね。

「あなたね、思いっきり生きればいいんですよ。

私は自分の意思通りに生きていますよ。

1人暮らしは冒険でね、これはね、生き方の覚悟が必要ってことですよ」



 町会議が開かれている時は、毎日傍聴に行きます。

安心できる政治と高齢者の自立について考える日々です。



 そんな彼女にも、限界の日がやってきました。

数年後病を患って、娘さんの家に引っ越したということです。


 彼女のエピソードは、いろんなことを考えさせてくれました。

たとえわずかな期間であっても、自分で計画し、実行し、自分らしい暮らしができたということは、なんとすばらしいことでしょう。



 1人暮らしは冒険。

生き方の覚悟。

深い言葉ですね。